歴史上の人物と香り

香り

人類ははるか昔から香りを利用してきました。宗教儀式や病の治療および予防、化粧目的等で利用されてきた香りは、時の権力者たちを魅了し、彼らの権威を高めるために用いられることもありました。

この記事では香りに魅せられた歴史上の人物を紹介していきます。

アレクサンドロス大王(紀元前356年〜紀元前323年)

ギリシアから北インドにまで及ぶ大帝国をつくりあげたアレクサンドロス大王はたいへんな香料好きで、つねに乳香や没薬を焚かせていました。

アレクサンドロスが東方へ遠征し支配領域を次々と拡大していったのは、乳香や没薬、ペッパー、クローブ、ナツメグ、シナモンなどのスパイス、麝香や霊猫香といった動物性の香料のような、いずれも当時大変高価であった香料を手に入れるためでもあったといわれています。

古代ローマの博物学者プリニウスによると、アレクサンドロス大王は幼い頃、乳香を大量に火に焚べて浪費していたところ、家庭教師のレオニダスに咎められ、そのような行いは自身が乳香を産する土地を支配できるようになるまで慎むよう諭されたといいます。

のちにアレクサンドロスは成長して王になると、東方遠征を行って乳香を産する土地を手に入れ、レオニダスに大量の乳香を送ったということです。香料好きで豪胆なアレクサンドロスらしいエピソードです。

クレオパトラ(紀元前69年〜紀元前30年)

ローマのユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスを魅了した、エジプトのプトレマイオス朝最後の女王クレオパトラは、香りの力を上手に利用して政治や外交で成果を挙げることに成功しました。

彼女はバラやジャスミンの花を浮かべた風呂に入り、高価な香油を全身に塗り、麝香や霊猫香を愛用していました。

船に乗るときには、自身にだけでなく帆布や船員にも香水をかけ、たくさんの香炉を置いて人々を陶酔させました。

また晩餐会では、会場にバラの花びらを膝の高さまで厚く敷き詰め、客人たちに権威を誇示したといわれています。

ネロ(37年〜68年)

暴君として名高いローマ帝国第5代皇帝ネロは、たいへんなバラ好きであったことが知られています。

彼の住む宮殿では、バラ風呂、バラの香油、天井からバラの花びらや香油を振り撒く仕掛け、バラの香りのぶどう酒、バラのお菓子などバラ三昧の宴が催されました。

また、皇后のポッパエア・サビナが死去した際には、葬儀に大量の香料や香油が使用されたといわれています。

ヘリオガバルス(203年頃〜222年)

ローマ帝国第23代皇帝ヘリオガバルスは「ローマ帝国史上最悪最凶の皇帝」と評されていますが、彼もまたたいへんなバラ好きでした。

バラの酒を飲み、バラ水を満たした風呂に入り、薬にまでバラを入れていたといわれています。

また彼は、宴で招待客の上に何トンものバラの花びらを落とし、窒息していくさまを見物したといわれ、絵画の題材にもなっています。(ローレンス・アルマ=タデマ『ヘリオガバルスの薔薇』1888年)

ヘンリー8世(1491年〜1547年)&エリザベス1世(1533年〜1603年)

チューダー朝イングランドの王ヘンリー8世と、彼と彼の二番目の妻アン・ブーリンの間に生まれ、のちにイングランド女王となったエリザベス1世も香料を好んだことで知られています。

ヘンリー8世はバラと麝香を組み合わせた濃厚な香りを愛好していたといわれ、エリザベス1世はイタリアやフランスから輸入したバラ水、ローズパウダー、ドライパフュームを愛用し、マントや靴に香水を染み込ませていたといわれています。

カトリーヌ・ド・メディシス(1519年〜1589年)

カトリーヌ・ド・メディシスは、フランス国王アンリ2世の王妃でフィレンツェのメディチ家出身でした。

彼女はフランスに嫁ぐ際に、お気に入りの調香師を同行させ、香り付きの革手袋を持ち込み、夫となるアンリ2世には、フィレンツェのドミニコ会が運営する薬局サンタ・マリア・ノヴェッラで調合された香水を贈りました。

こうしてフランスにイタリアの香水文化が伝わりました。

ルイ14世(1638年〜1715年)&マリー・アントワネット(1755年〜1793年)

フランスブルボン朝の王で「太陽王」と称されたルイ14世は香料を好み、「最もかぐわしい帝王」といわれています。彼は専属の調香師を抱え、毎日違った香りの香水をまとっていました。

また、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは、スミレやバラなどの植物性の香りを好んだことで知られています。

彼女が住むヴェルサイユ宮殿ではそれまで動物性の強い香りが好まれていましたが、彼女によってフローラル調の優しい香りが流行るようになります。

彼女はヴェルサイユ宮殿の庭園の一角にプチ・トリアノンという別荘を建て、そこで栽培した花々でオリジナルの香水をつくっていました。

ナポレオン・ボナパルト(1769年〜1821年)

フランスの皇帝になったナポレオン・ボナパルトは綺麗好きで知られ、柑橘やスパイスの香りの石鹸やネロリの石鹸、オーデコロンを大量に使用していたといわれています。

オーデコロンは、ベルガモットなどの柑橘系の香りにローズマリーなどのハーブを加えたアルコール水で、ドイツのケルンが発祥のためオーデコロン(ケルンの水)と呼ばれています。

爽やかで軽やかな香りを好んだナポレオンに対して、皇后のジョセフィーヌは麝香などの動物性の重厚な香りを好みました。

ナポレオンは麝香の香りが苦手でジョセフィーヌに麝香の使用を止めるよう言ったのですが、ジョセフィーヌは麝香の使用を止められませんでした。

もしかしたら、香料の好みの不一致も二人の離婚の原因の一つであったのかもしれません。

日本の権力者たち

日本でも公家や武家を中心に香りが用いられてきた歴史があります。

平安貴族は各種香料を蜂蜜で練り合わせた練香を使って衣服や部屋を香らせていましたし、鎌倉時代には、武家の間で香木の香りを聞き分ける「聞香」が行われるようになりました。

また、織田信長、豊臣秀吉、前田利家、伊達政宗といった戦国武将たちは沈香を好んでいました。

奈良県にある東大寺の正倉院には蘭奢待という沈香木が収蔵されています。蘭奢待は天下第一の名香と謳われている大変貴重な沈香木で、足利義政、織田信長、明治天皇がその一部を切り取ったと伝えられています。

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