桜の和歌〜『古今和歌集』『新古今和歌集』より〜

桜の季節になると、日本のテレビ局はいっせいに桜の開花予測・開花状況の放送を始め、人々の話題は桜で持ちきりになります。

日本各地の桜の名所は花見客でいっぱいになり、昼間から宴会が繰り広げられます。長時間労働の国、日本が急に怠け者になる不思議な時期です。それほどまでに桜は日本人に愛されています。

このように、桜は日本では昔から愛されてきた花で国民的な人気を誇りますが、花といえば桜といわれるように、桜が花の代名詞となったのは平安時代からです。それまでは中国文化の影響で、花といえば梅を指しました。

そんな桜は日本の伝統的な短詩、和歌のテーマとしても人気があり、古来たくさんの歌が詠まれてきました。

この記事では『古今和歌集』『新古今和歌集』に収載されている桜がテーマの和歌から八首を選び、紹介していきます。

春の心

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

在原業平『古今和歌集』

桜の開花に一喜一憂する現代日本人と変わらない心境を詠った在原業平の歌。

桜の時期になると、桜はいつ咲くのだろうか、いつ満開になるのか、もう散ってしまっただろうかとそわそわして落ち着かなくなるのは平安時代の人々も現代のわれわれも同じだったようです。

遠い昔の平安時代が身近に感じられる、そんな歌です。

儚さ

ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ

紀友則『古今和歌集』

陽の光がおだやかに降り注ぐ春の日に、どうして桜はあわただしく散ってしまうのだろうという意味の歌です。

桜の特徴といえばその儚さです。咲いたと思えばあっという間に色褪せて散ってしまいます。

そんな桜の儚さを自分の身になぞらえたのが小野小町です。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

小野小町『古今和歌集』

花の色は長雨が降る間にむなしくも色褪せてしまい、わたしもこの世に生きて物思いをしている間に年をとり、容色が衰えてしまったという意味の歌です。

小野小町は、桜の儚さを自身の容色の衰えに重ね合わせ、みごとな和歌に仕立て上げました。

夢と現実

やどりして 春の山辺に 寝たる夜は 夢のうちにも 花ぞ散りける

紀貫之『古今和歌集』

春に山寺を訪れたときの歌。昼間見た春の山に散る桜が夢の中にも現れて、夢と現実が交錯した幻想的な世界をつくりだしています。

花吹雪

またや見む 交野のみ野の 桜狩 花の雪散る 春のあけぼの

藤原俊成『新古今和歌集』

風に舞う桜の花びらを雪に見立てた藤原俊成の歌。

この美しい景色をまた見ることがあるだろうかという感慨と相まって趣深い一首です。

花さそふ 比良の山風 吹きにけり 漕ぎゆく舟の 跡見ゆるまで

宮内卿『新古今和歌集』

水の上に落ちた、漕いでゆく舟の跡ができるほどたくさんの花びらから、山風に吹かれて散る桜の花を想像した一首。

ひねりのある構想と美しい映像が秀逸です。

散った桜

花は散り その色となく ながむれば むなしき空に 春雨ぞ降る

式子内親王『新古今和歌集』

花が散ってしまい、空っぽになってしまった空に春雨が降るのを眺めながら、薄幸の皇女は何を思ったのでしょうか。

また、式子内親王には

はかなくて 過ぎにしかたを 数ふれば 花にもの思ふ 春ぞ経にける

式子内親王『新古今和歌集』

という歌もあり、美しい桜も彼女の憂いを消すことはできなかったようです。

終わりに

桜の花を詠った和歌はとてもたくさんあって、ここで紹介したのはほんの一部ですが、どれもとっておきの名歌です。

美しい桜と古人の思いが交錯する桜の和歌の世界、お楽しみいただけたでしょうか。

和歌なんて学生のとき勉強したけれど、それ以来ご無沙汰という方も少なくないと思います。しかし、和歌の知識はわたしたちの何気ない日常を豊かにしてくれます。

すばらしい古歌を味わいながらお花見するのもよい趣向ではないでしょうか。

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