梅や藤、橘などの花の香り、仏前に供えられた香の香り、悪霊を払う護摩の芥子の香り、衣服や部屋に焚きしめられた薫物の香り、生まれつき体から良い芳香を放つ薫君など、一条天皇の中宮であった藤原彰子に仕えた女房、紫式部が書いた、日本が誇る長編小説『源氏物語』にはさまざまな香りが登場します。
この記事では、橘の花の香りが深い印象を残す第十一帖「花散里」と薫物合を描いた第三十二帖「梅枝」を紹介していきます。
花橘の香り〜「花散里」の巻〜
柑橘類の花は良い香りを持ちますが、日本の伝統的な柑橘類である橘も、初夏に、爽やかな香りを放つ白い花を咲かせます。
橘は古くから日本に自生する日本固有の柑橘類で、酸味の強い実よりも香り高い花や常緑の葉が重んじられてきました。
文様や家紋のデザインにもなっていて、京都御所紫宸殿に植えられている橘は「左近の橘」として知られています。
『源氏物語』第十一帖「花散里」ではそんな橘が印象的に用いられています。
『源氏物語』第十一帖「花散里」は光源氏25歳の夏を描いています。
政敵である右大臣家による圧迫が強まる中、五月雨の頃に源氏は、父である故桐壺院の妃の一人であった麗景殿の女御を訪ねます。
彼女の妹である三の君(花散里)は源氏の恋人でした。(彼女はのちに源氏の屋敷に迎えられ、彼の妻の一人として源氏の子や孫の養育を任せられます)
源氏と女御は、橘の花が香り、ホトトギスが鳴く屋敷で昔話に花を咲かせます。このとき源氏が詠んだ歌が
橘の香をなつかしみ ほととぎす 花散里を たづねてぞとふ
紫式部『源氏物語』
で、ほととぎすが橘の香りを嗅いで昔を懐かしく思い出し、花の散る里を訪れているという意味です。
『古今和歌集』のよみ人知らずの歌
五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする
よみ人知らず『古今和歌集』
のように、平安時代において橘の花の香りは、昔を思い出させるものでした。
橘の花の香りの中で昔話に興じるという場面設定とそこで源氏が詠んだ歌はともにこの伝統を踏まえていて、紫式部の深い教養と、単に知識を知識として知っているだけに留まらず、それを上手に利用して新たな創作に生かす豊かな才覚が見いだせます。
薫物合〜「梅枝」の巻〜
『源氏物語』第三十二帖「梅枝」は光源氏三十九歳の正月を描いた巻で、薫物合(たきものあわせ)が話の中心となっています。
薫物とは、平安貴族の間で用いられていた、数種類の粉末状の香料に蜜を加えて練り上げたお香で、炭火で熱した灰の上で温めて香りを出すものです。
薫物の中で代表的なものを六種の薫物といい、黒方、梅花、荷葉、侍従、菊花、落葉の六種があります。
また、仏前で焚くものを名香(みょうごう)、室内にくゆらすものを空薫物(そらだきもの)、衣服に焚きしめるものを衣香(えこう)と呼びます。
このような薫物の優劣を競う遊びが薫物合です。
この巻では、源氏の一人娘、明石姫君が十一歳になり、御裳着の式(現代の成人式に当たる)を挙げ、春宮(皇太子)の妃として入内することになります。
当時の貴族の嫁入り道具に香は欠かせないものであったので、源氏は娘のために最高の香を用意するべく、自身の妻たちや親交のある女性に香づくりを依頼し、自分でも香を調合します。
そしてできあがった香の優劣を、弟宮で親しい間柄の蛍兵部卿宮に判定してもらうことにします。
源氏が調合を依頼したのは、自身の妻である紫上、花散里、明石御方、親しい女友達である朝顔前斎院の四人です。
朝顔前斎院は黒方と梅花、紫上は黒方、侍従、梅花、花散里は荷葉、明石御方は薫衣香、源氏は黒方と侍従を調合しました。
どれもすばらしい出来栄えで兵部卿宮は判定に苦心します。判定の結果、
黒方 朝顔前斎院 心にくくしづやかなる匂ひことなり
侍従 源氏 すぐれてなまめかしうなつかしき香なり
梅花 紫上 はなやかに今めかしう、すこしはやき心しらひを添へて、めづらしき薫り加えはれり
荷葉 花散里 さまかはりしめやかなる香して、あはれになつかし
薫衣香 明石御方 世に似ずなまめかしさを取り集めたる心掟すぐれたり
が選ばれます。
兵部卿の宮の判詞はそれぞれの香りの特徴をよくとらえていて、そこからつくり手の人柄も伝わってきます。
黒方はフォーマルな処方で格式高いものです。
皇族の姫君で斎院も務めた朝顔前斎院にふさわしいといえます。
源氏の邸宅、六条院の女主人である紫上の梅花は、華やかかつ現代風でほかにはない個性も備えています。
ひかえめで心優しい花散里は優しい夏の香りの荷葉一種類のみを提出しています。
地方官の娘である明石御方はほかの女君たちとの差別化を図り、特別の香材を用いた薫衣香で勝負しました。
光源氏をとりまく女君たちの持つそれぞれちがう魅力と個性がよく現れている場面です。
平安貴族の雅な文化と相まって、源氏物語の中でも魅力的な巻の一つとなっています。